3年前の母へ…
今日…9月12日は
恐らく…
母がいちばん苦しんだ日。
母は危篤状態でした。。。
その一年前はリハビリテーション病院に入院中でしたが元気な母でした。
抗がん剤で脳幹出血を起こしながらも
杖なしで歩いて見せるという奇跡を見せてくれた母でした。
最後に搬送された入院の時、
母は肺炎を起こしていました。
肺線ガンの治療中だったので、その現実を知った時、私は愕然としました。
入院から三日三晩母は苦しみました。
亡くなる前日の9月12日
母は肩で息をしていました。
主治医は
今すぐどうこうではないが
ここ2、3日でしょう
と、人ごとのように私に言ったのを聞いた時、
目の前が真っ暗になりました。
でも
私にはわかっていたのです。
母は、明日逝ってしまうと。。。
翌日の13日は父の命日…
洋子、もう良いだろ
俺は20年も我慢したんだぞ。。。
父に言われた気がしたのです。
母を暗い病室にほったらかして
合わせたい人に合わせてあげてください…
そんな言葉をかける優しさもない主治医の態度に
私は絶望し、病室のロッカーにおでこを押し当てて
母に聞こえないように息を殺して泣きました。
母の前に出たら泣き出してしまいそうで
自分を立て直すのに時間がかかりましたが、
もう“頑張ろう”とは母に言えません。。。
ごめんね
苦しめてごめんね
そんな思いは
いつしか歌になりました。
🍁静かな静かな 里の秋
おせどに木の実の 落ちる夜は
ああ 母さんと ただ二人
栗の実 煮てます いろりばた
母の顔を覗きこむように
残された母との時間を惜しむように
歌いました。
いつまでの名残惜しい日でした。
お母ちゃん
幸子さん
…
今夜は、あなたのことばかり考えます。
あなたにハッパをかけてもらいたい。
良いじゃない
やってみなさいよ
あっけらかんと話す幸子さん。。。
もっと
もう少し、頑張って見るよ。
そこから見ててね
お父ちゃんと💙
🍀まえぽん
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