仕事とってこい❣️
こんにちは☀️
社会人アーティストのまえぽんです。
お恥ずかしい話ですが…
私は高校卒業する2週間ほど前まで
🔴行き先🔴が決まっていませんでした。
私は生まれつき視力障害を持っていましたので、小学校から高校まで盲学校に通いました。
紆余曲折(これについてはまた改めて)あって就職希望でしたが、いかんせん就職活動が遅かったこともあり、周囲が就職先や進学先を決めていく中、1人取り残されていました。
〝あんた、一体どうするのよ〟
母には泣かれましたが、決して私はダラダラしていたわけではなく夏休み返上で東京オペレーター学院に通い電話交換手の免許も取得していました。さらに
こんな私が就職できないわけがない❗️
と言う全く根拠のない自信に満ち溢れていたのでした。
それでもさすがに卒業式の2週間位前になると少し焦りだし…と言うより担任が焦りだし
〝現代国語の授業でなくていい
単位をあげるから飯田橋の職業安定所に行って仕事とってきなさい❣️〟
制服着たまま東京都の紹介状を携えて
意気揚々と授業時間に担任公認の外出👣
よーし、とってくるぞ仕事❣️
生まれつき根拠のないポジティブ主義✨
やってきました飯田橋公共職業安定所
待ち受けていたのはちょっと偉そうなおじさま…
後でわかったんですがこの人相当偉い方。
それで…電話交換手の資格を取ったんだね?
どこに行きたい?
自分主導で就職先を選ぶなんてこれっぽっちも思っていなかった私。
当時、視力障害を持っている女子が社会人になる方法として1番ポピュラーだったのが、
電話交換手の資格を取って一般企業に就職すると言う方法。
就職先は金融機関や保険会社等がほとんどで
したが、私が求職活動を始めた頃から金融機関は電話交換室を廃止してダイヤルインを導入し始めていました。
せっかくだからさぁ
日本一の銀行受けてみないか?
おじさまは受話器を取ると、
いきなり日本銀行に電話をかけて下さいました。やるなぁ、飯田橋職安❗️
申し訳ないね
日銀はダイアルイン導入なんだって
次行こ、次❗️
このおじさまの方がポジティブでした。
あれやこれやとやりとりをしている間に
私はとうとう三菱銀行の面接を受けることになったのでした。
🔴つづく🔴
🍀まえぽん
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